養源院奉納作品「星に願いを」について

養源院奉納作品(2010年秋)
本作は俵屋宗達の重要文化財である唐獅子図と並んでおり通常非公開

トトアキヒコ独自の指染め「しふく刷り」命名者
筒井 忠仁/文化庁

「星に願いを」を見て感じたことを何か言葉にしなければと、初めて見た時から思っていたのですが、正直言葉が見つからず悩んでおりました。しかし、何故言葉にならないのだろうと考えて、本当にいいものに出会うと言葉を失うのだという、単純な事に思い当りました。宗達や光琳のあの何とも言えない魅力的な作品に触れた時、それはしばしば起こります。そこには言葉に出来ないものがあり、言葉にしてしまうと失われてしまうものがあります。琳派独特の音楽のようなリズム感、部分を見るとどこかゆるい感じ、それでいて全体に張り詰める緊張感、そう言ったものは感覚的にしか理解しにくいものだからです。西洋絵画の突き詰めた、技術至上主義的、観念的、再現的、意味論的、感情移入的な世界が、言葉に置き換えることによって理解がより深まることとは対照的ともいえるでしょう。東洋においては、言葉にならないということが、むしろ良い作品の証しともなり得るわけです。

宗達は、あくまでも画家が出発点で、筆を使って自由に二次元を行き来し、事物の姿をとどめました。ただ、宗達は、どこまでも自由に複雑に絵筆を使って対象を捉えることを抑制し、あえて大胆な単純化を行い、無駄を省き、対象を型にまで高めて、ほとんど模様や装飾とまで言える画面を作ります。それによって、模様の持つリズミカルな空間や、無駄を排除した凛々しさ、そういったものを獲得しながら、なおかつ型にはまる弊害に陥らず、そこに絵筆の自由さを保ちます。その超絶的な技巧、両者のあわいを行き来することで得られる緊張感、それこそが宗達の魅力でしょう。

一方、トトさんの場合は、あくまでも唐紙の持つ型の魅力が出発点です。それを、例えば片身がわりの着物のように画面の途中で大胆に模様を変更し、あるいは、模様を抽出してその配置を北斗七星のように意志的に行うことで自由に二次元を操り、そしてまた、一つ一つの色に微妙な変化を持たせて模様そのものに奥行きを持たせる。 そういった構築的な作業を行うことで、まさに絵画的な地平に到達し、インターテクスチュアルな世界を現出しているように感じました。

出発点は違いますが、二人はある意味同じ地点に到達しており、それがいずれも見る者をして言葉を失わせる理由なのでしょう。
「星に願いを」は、400年の時間を経てあの場所に収めるにふさわしい、まさに現代的な意味を持った作品だと思いました。

(2010年)
※現在は文化庁を退官されています